フランス語を理解して、読んでいるんでしょうか?文学作品などにおいて、翻訳はある意味、翻訳者による“加工”です。つまり、翻訳では作品の本質に迫るのは、到底不可能だと思います。ランボーも同様です。フランス語がわからないのに、翻訳者の巧拙を言ってる人が万が一いたら、その前にフランス語を勉強することを勧めます。けど、世界観的に、やっぱアルチュールよりジョンの方がいいな。
この宇佐美訳で、10代の頃ランボーに出会いたかった!おすすめ度
★★★★★
宇佐美先生に感謝をこめて、この翻訳のすばらしさを伝えたい。
25年前の10代に出会ったランボー訳詩は、何が書いてあるか全くわからない、難解な代物だった。
おかげで、私はランボーを敬遠して40歳をすぎた。
先日『宗教とアウトサイダー』のランボーの章にひかれ、この宇佐美訳をめくってみた。
何とわかりやすく、まばゆい宝石箱のような詩集だったことか!私は胸打たれ、動揺し、ランボーに心臓をうちぬかれた!
「酔っぱらった船」の恍惚、「地獄の季節」の傲慢な美しさと奢れる才気、「イリュミナシオン」のすがすがしい幻覚と陶酔!
この訳詩と、10代の頃出会っていたら!
私もランボーのように、放浪の旅に出ていただろうかーーー。
まだ、遅くはないと信じつつ、宇佐美先生に尊敬の念をこめて。
いい訳ですねおすすめ度
★★★★★
私が初めてランボーを読んだのは、小林秀雄の訳でした。あの訳の単純なかっこよさは、高校生の私の脳味噌に直撃し、以来、私はランボー!ランボー!と連呼し、心持ちスタローンから遠ざかるようになった。
この訳はそのような小林訳のかっこよさはない。しかし、親しみやすさがあるのだ。小林訳におけるやたらと激しい口調もいくらか柔らかくなって、血気盛んな反骨高校生の心を捕らえるのには適さないが、なんといってもわかりやすい。
シンプルなランボー。小林氏を読みたいならあっち。ランボーを読みたいなら宇佐見氏の訳をお勧めします。