「不便で心豊かな世界」おすすめ度
★★★★★
「サツキやメイがいる時代(昭和30年代)で暮してみたいですか?」
と尋ねられたら恐らくこの作品に魅せられた人なら間髪入れず
「暮らしてみたい!!」と、言うのではないだろうか。
私もそのように即答するかもしれない。
が、しかし本当にそうなのか??とも思う。
「道が雨でぬかるみ、電話は人の家のを使わせてもらい、
風呂に入るのに毎日のように薪を取ってきて焚き、水は外の井戸に汲みに行き、
家にクーラーはなく、おまけにテレビはない。それでも、暮してみたいですか??」と、
丁寧に尋ねられたら恐らく、
「ちょっと考えさせて下さい」と、言うだろう。
皮肉な話だが、「ちょっと考えさせてください」と思うような時代を脱却する為に
我々が現代社会を作ってきたとも言える、ということである。
率先して「不便な社会」を「便利な社会」に変えてきたのは紛れもなく、我々です。
その中の一人でもある私が「不便な世の中もいいな」と、思ってしまいそうになるのはなぜだ??
それは、「不便だからこそ、人との助け合いが生まれる社会」も、魅力的に思えるからだ。
メイを捜索する終盤のシーンでは、地域の連帯感が色濃く描かれている。
現代で、もし同じことが起こったと仮定すると、まず警察に連絡するだろう。
そして地域の住民の中には「自分には関係ない」と思い、なるべく関わるまいとする人もいるかもしれない。
「また不審者が現れた」と脅えるだけの人もいるだろう。
しかしあのシーンでは警察の影も形もなく、捜索しているのは地域の住民である。
「不便な社会」であるからこその「助け合い」とも言えないだろうか。
そしてその捜索の最中、おばあちゃんは「ナンマンダブ ナンマンダブ」と唱え続ける。
「不便な社会」には「神が存在できる」のではないか。
不便な社会で人間が最後にできることは「謙虚な精神で祈る行為」なのかもしれない。
そんな行為が自然な昭和30年代だからこそ「トトロ」という樹の精霊は存在し得た、とも言える。
結論を言えば、「となりのトトロ」の良さが分かる世の中ほど、残念なことに心が豊かではない世の中である。と、言えるのではないか。
私の「精神的飢餓感」が増せば、増すほどこの作品は光を放ってくる。
いつしか「あそこの森にトトロがいるんじゃないの??」と、子供に胸を張って言える
「不便で心豊かな世の中」を作りたいものである。
何回でも見れるのはなぜおすすめ度
★★★★★
子供が生まれてから、トトロを何回もみたわけですが、DVD買って一度も手放そうとしたことがありません。(夫婦ともに)いまだにいろんなシーンを思い出すことができます。
一昨年に、トトロの家(愛知県)に出かけたときの不思議なトリップは忘れません。
子供たちが縁の下をほんとに覗き込んでいるのを見ると「プッ」と笑ってしまいました。
井戸水のポンプを汲みだしたり、2階の階段を見上げたり。
どの場面を見ても「心が和み」ます。みんな子供のころの純真なこころかも。
夏目漱石の「こころ」の子供版といったところか。
概要
小学6年生のサツキと4歳の妹メイが引っ越してきたおんぼろな家の隣には、遠く見上げるほどに大きなクスノキの森があった。やがて2人はその森の主である「へんないきもの」トトロと出会い、胸躍る体験をすることになる…。 かつてはこんなにも豊かだった日本の自然と、それに畏敬の念をもちながら暮らす生き方のすがすがしさ。そんなテーマを夢あふれる作品に仕立てたのが、この『となりのトトロ』だ。『ルパン3世カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』などを手がけ、アニメファンの間ではすでにカリスマとなっていた宮崎駿監督の存在を一般に知らしめた作品でもある。
他人への優しさを忘れない人々、両親の言葉ひとつひとつに込められた愛情、何げない日常の1コマがドキドキするものに変わるその瞬間。どの場面を見てもみずみずしく、そして懐かしい。トトロの姿に子どもは目を輝かせ、大人は心が洗われる、まさに世代を超える名作と言えるだろう。(安川正吾)