火天の城 (文春文庫)
安土城が現存していない事が非常に残念に思われますが、もし現存していたらこのような小説も成り立たないので、いたし方ありません。
この安土城に関しては非常に謎が多く、最近の大調査によってようやく分かってきた部分も数多くあります。その中でもビックリしたのが、その当時の城造りでは考えられない、幅の広いまっすぐな表参道などがあります。無駄を嫌い効率的なことを好んだ信長がどのような意図を持ってこの城を建てたのか、そしてその信長から城造りを命じられた番匠たちのロマンが本書で蘇ります。蛇足ですが、現在でも安土城の天守(安土城に限ってだけ「天主」と書く)の構造や規模に関しては各研究者によって意見が異なるようです。今最も有力なのは大きな吹き抜けを持っていたのではないかという説ですが、本書ではそれを覆す説を説いています。それは、本書を読んでのお楽しみです。
利休にたずねよ
今までも数多くの分析がなされ、文芸作品でも描かれた利休。
武士にも負けぬ気迫あふれる凄みある文化人としての利休の姿は魅力的。
茶道で天下と向き合ったそのパーソナリティを小説で堪能できるのがとてもいい。
狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎 (講談社文庫)
武士であった主人公が父親とのいざかいから,前から興味のあった刀に関連して刀剣屋に婿入りして活躍する話である.非常に読みやすく読後感も爽やかです.なぜ村正が妖刀扱いされるのかもわかります.
利休にたずねよ (PHP文芸文庫)
この本を最近、読了した。
根底に流れる、利休の業の深さに共感する所もあり、身じろぐ所もある。
物語として一級のエンターテイメントである事は疑いようもなく、利休や周辺の物語が好きな人には
えも言われぬ読後感が漂う事請け合いである。
何かを成し遂げる人が背負っている業というもの。章を重ねる毎にその深淵に迫る様はさすがだと思いました。
ジャンルは違いますが、「へうげもの」が好きな人はぜひ読んで見て下さい。
へうげもの(1) (モーニングKC (1487))
命もいらず名もいらず_(上)幕末篇
私は最近、つくづく「人間一番大事なのは外見だ」と思うのである。貌(かお)がイイと云う事が、何より大切なことだと感じるのだ。
本作の主人公、山岡鉄舟という御仁をはじめ、幕末・明治の英傑たちの多くは真影を残している。その貌の良さ、男(女)っぷりのよさには驚くばかりである。鉄舟さんの写真もウィキペディアほか、数多くネット上に掲載されているのでご覧頂きたい。紋付袴姿で、刀を手挟んだ容貌は、まさしくサムライである。また、晩年の髷を落とし、髯を蓄えた姿には、不思議と洗練されたジェントルマン的な要素も感じる。単に整った顔なのではない。何か今にもこちらに語りかけてきそうな、深みのある貌なのだ。対峙する者にオーラを発する人物の大きさを感じさせる人間っぷりの良さがあるのだ。
本作はその鉄舟の魅力を余すところ無く描いていて、一陣の涼風が身体の内を駆け抜けて行くような爽快感に満ちている。剣術と禅と放蕩に明け暮れる鉄舟の一直線の生き方が、小事に汲々とする平成の小市民に問いかけるモノは甚だデカい…。鉄舟のさんに、貧弱なわが肩にビシリと警策を与えられた心持だ…。
ことに特筆すべき場面は、官軍の東征大総督参謀の任にあった西郷さんとの会見のシーンである。それは、幕府だとか官軍だとか、自らの立場や面子など全く問題とせず、日本国と民草を思い、江戸を戦禍から救った男たちの静かな叙事詩である。ふたりの包み込むような笑顔に私自身が対面したような、清々しい読後感に酔いしれた。
130年ほど前に、こうした痛快な男たちが舵をとっていたこの国の、今を治める政治家や自衛隊の元幕僚などの貌を目にするにつけ、前述の通り思わずにはいられないのだ。
人間、一番大事なのは、容貌(かお)だと…。命もいらず名もいらず_(上)幕末篇