蒲団・一兵卒 (岩波文庫)
田山花袋氏の作品は初めて読みました。良い作品だったと感じています。ストーリー展開云々は派手なものではなく淡々と展開してゆくのですが、主人公の嫉妬心や癇癪を起こしたくなる気持ちを上手く描いていると感じました。読み進めているうちに、徐々に主人公の嫉妬心や取り繕う姿にイライラさせられましたが、これは作品に引き込まれているからこそだと思います。確かに、人によって好みは分かれる作品である事は間違いないでしょう。私個人的には文学として良い作品であり、一読の価値はあると感じています。
蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)
『蒲団・重右衛門の最後』です。表題二作収録。
蒲団は、日本文学史上のターニングポイントとされる有名作品です。その位置づけについては、ここで書く意味も無いのでググってください。
作品としてどうかというと、有名作品なのでストーリーがネタバレしているのですが、普通に面白く読めると思います。ただ、随所で言われている通り、現在ならばこれ以上に洗練された作品は多々あり、記念碑的意味合いが強い、というのも一面真実です。決してつまらないと切り捨てるほどではありませんが。
重右衛門の最後については。まず冒頭がダラダラしてつらかったのですが、全体の約4割くらいのところでようやく、今でいうところの中二病っぽい重右衛門の名前が出てきてから面白くなりました。展開はけっこう怒濤。最後の自然主義部分は説明がくどいのですが。
二作ひっくるめてそれなりに興味深く読めるので★4です。
キャラクター小説の作り方
若者に上から諭すような柔らかい文体が相変わらず不気味な大塚英志なのであるが、東浩紀の
『動ポモ2』など、後のオタク評論に少なからぬ影響を与えたことは、言うまでもない本書。
本書の発端となるのは、キャラクター小説(ライトノベル)のある賞の選考委員が落選作品を
「オリジナリティのなさ」において批判したというエピソード。しかし、大塚英志にいわせれ
ば、その作品だけが保持する本当の意味での「オリジナリティ」なんて虚構であり、登場人物
だってストーリーだって、予めあるパターンの集積(データベース)からの取捨選択による組
み合わせにしか過ぎないのだ。
原作者でもある大塚は、自作をネタバラし的に解体していくことによってそれを論証していく。
自作の構築過程を事細かに叙述しているだけあって、これは説得力がある。
その勢いで大塚は、旧来の「文学」としての「私小説」、その「私」だってキャラに過ぎないと
いうことを白日の下に晒す……が、ここまでくればお気づきの方も多いかもしれない。
これは同じく評論家の柄谷行人が『日本近代文学の起源』ですでにやっていることとまんま同
じなのである(しかも田山花袋『蒲団』だけで「近代文学」を語っちゃうのはムリがあると思う)。
その先行する柄谷の論はしれっとスルーしているのが、この大塚英志という人物が正攻法なのか
そうでないのか、わからなくしているところ。
FUTON (講談社文庫)
かの有名な田山花袋『蒲団』を「男の片想いの文学」と位置づけた小谷野敦を受けて、明治生まれの日本人と、アメリカの日本文学研究者の「片想い」が、妻視点の『蒲団』ともに描かれています。情けない男の恋の三重奏。逆に、女性は生き生きしています。明治生まれの男を介護する若い女は美術家を目指し、アメリカ人文学者の元カノの女子学生はちょっと頭が弱かったはずなのにマスコミを目指し、そして『蒲団』の女弟子は新しい女性を目指す。『蒲団』では名前も与えられていない妻を主人公にした「蒲団の打ち直し」という小説内小説の存在を考えても、「女性を主役に」というフェミニズムの文脈に忠実な、政治的に正しい「文学」の書き直しです。
ただ、少し文章がくどいこと(同じことを繰返すこと)と、書き直すことによって「文学」が生き延びていくことへの無自覚が気になります。だって『蒲団』読まれてないですから。すべての女性がみんな自覚的に成長を遂げるというのもハッピーすぎるようです。おもしろいからいいですが。