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僕の村は戦場だった(字幕版) |
難解な作品を撮るという印象が強い タルコフスキー監督の作品の中では 分かりやすく観やすい作品。 戦争という大きな渦に巻き込まれ 「古い映画は名作と言われててもちょっと退屈」と |
僕の村は戦場だった |
タルコフスキーの作品の中では、未熟であり、不満の残る作品である。特に、主人公のイワン少年の性格が類型的である事が、私には不満である。しかし、それでも、タルコフスキーの作品である。破壊された教会とその背後から射す太陽の逆光、狐の嫁入りの様な美しい夕立ち、イワン少年が向かふ暗い水の水面など、はっとさせられる、神の啓示の様な、美しい場面が、随所に在る。戦争を描きながら、自然と人間を、絵の様に描くタルコフスキーの視線は、後の『アンドレイ・ルブリョフ』や『鏡』を十分予感させる物である。又、タルコフスキーは、日本映画、特に黒澤明と溝口健二に傾倒して居たとの事だが、日本映画の影響が随所に見られる点でも、興味深い箇所が多々有る事は指摘しておきたい。−−ベルリンにおけるソ連軍のベルリン市民への残虐行為を描いて居ない事は仕方の無い事である。そうした現代史の解釈についてはあえて論じない。−−戦争は、悲惨である。
(西岡昌紀・内科医/東京大空襲から61年目の日に) |
僕の村は戦場だった |
難解な作品を撮るという印象が強い タルコフスキー監督の作品の中では 分かりやすく観やすい作品。 戦争という大きな渦に巻き込まれ 「古い映画は名作と言われててもちょっと退屈」と |
僕の村は戦場だった |
ウラジーミル・ボゴモーロフの小説「イワン」の映画化でタルコフスキー30歳の初めての長編映画です。両親を戦争で亡くしたイワンは、敵への憎しみから12歳にも関わらず強く希望して敵陣への偵察行動に参加します。そして命を落とすまでの物語です。どの国の映画でもよく登場する、「お国のために命を捨てるのだ!」と言う軍人は登場しません。その代わりに、この映画で登場する軍人達は「戦争は大人に任せて子供は学校に行け!」と皆、少年に諭します。つまり、軍人の言葉の方が少年の行動より正常に感じられるというところが、他と違うのです。そして、戦争によって心を病んだ少年の戦場での光景と、彼の母や、想いを寄せる少女との平和な時の回想や心象風景が強いコントラストを放っています。あくまで少年の中だけの狂気と正常がコントラスト強く、美しく捉えられています。。なぜこんなにも美しいのでしょうか?タルコフスキーの映像が美しいから?確かに最大の要因の一つでしょう。でも僕はここで描かれている狂気も正常も純粋だからだと思います。少年ゆえの母に対する愛が純粋だから狂気に走り、純粋だから美しい思い出もあるのです。それが他の戦争映画、例えば酒に溺れたり人を殺したり薬中になったりという、アメリカ映画で描かれるベトナム戦争の正常と狂気との差なのでしょう。酒も飲めばセックスもするという大人とまだ母の愛や淡い恋しか知らない少年の被写体の違いなのかもしれませんけれど。しかしそれが、世界中の数々の戦争映画には見られない美しさ、瑞々しさを持つ映画としてくれているのです。この映画に登場する軍人達は、もちろん命をかけて戦争をしているのですが、つかの間に、恋もするし、横恋慕もする、少年に学校へ行けとも言う。けれど、少年の純粋で一途な愛ゆえに、将校や軍人より強い義務感を持ってしまったという悲しい物語です。そして、終戦後の処刑所で、ソ連の軍人ガリツェフが心の中で聞いた少年に対するドイツ兵の言葉は、純粋さを侮蔑する言葉に聞こえました。とても痛いです。最後の美しい追いかけっこのシーンも忘れられません。PS:ところで、この映画の中に登場する白樺の森は僕の人生の中で一番美しい白樺の森です。 |
僕の村は戦場だった |
結局最後まで目を離さず見せられてしまった
戦争が少年から奪ったものそしてかわりに与えたもの それを利用するもの、対して容赦しないもの 処刑者調書に付された少年の写真が最後の憎悪のまなざしでこちらを見つめる タルコフスキーの戦争への思いのようで痛い |
思いがけずこんな 僕の村は戦場だった を夢で見た・・・!
CMソングで話題の 僕の村は戦場だった。最終戦争後の荒廃した世界が舞台で、当時としては斬新なシステムを搭載した話題作だった。
田舎の遊園地に集まった若者たちが、ピエロのマスクをした男のナビゲートにより、強制的に殺人ゲームに巻き込まれていく。
ふむう~。それならばぜひこの言葉を贈りたいと思います。。
『 青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。もう一度やれと言われてもお断りしたい。 』( 吉行淳之介 )
なるほどねえ。昔の人は偉いなあ。
僕の村は戦場だった
6月の下旬か、7月の初旬かに「白夜映画祭」のチラシの上映スケジュールに『僕の村は戦場だった』を目にした前後に、「映画上映&ラウンドテーブル 核と現代」のポスターも見た。「西谷修 「金瀬胖写真集『EXPOSED』に寄せて」より」 EXPOSED―東海村感光録 ...
”カタルシス”はどこに現れる?(ヴォルフガング・ベッカー)
あと僕の映画ベスト10にも入る大好きな作品、アンドレイ・タルコフスキー監督「僕の村は戦場だった」にも、砂浜を走る美しいシーンがあります。 ちなみにどれも撮り方は、走っているのを横から映します。 これは短いカットですけどビリー・ワイルダー ...
WITCH NIGHT
参考までに、使用した映画のタイトルは「アンドレイ・ルブリョフ」、「僕の村は戦場だった」、「一年の九日」、「鬼戦車T-34」と言ったところでした。 3番手はDEATH TRANCE DELILAH!今日でまだライヴ2回目だと言うこちらのユニット。 ...
『ぼくの村は戦場だった』
『ぼくの村は戦場だった』 著者/山本 美香 出版社/マガジンハウス あしたは終戦記念日ですね。 60数年前のあした、 戦争が終わった日。 私はもちろん、戦争を知らない世代ですから、 リアルな戦争のことが全然分かりません。 ということは、 ...
映画「僕の村は戦場だった」
下高井戸シネマの「白夜映画祭」というイベントでかかってました。 「僕の村は戦場だった」は8/8~10にまたモーニングショーでかかります。 7/12まではレイトショーで多数のロシア、グルジア、パリの映画がかかります。 詳細は↓ ...
僕の村は戦場だった
8月は、 ます。
僕の村は戦場だった Ivan's Childhood
僕の村は戦場だった商品詳細を見る(Amazon.co.jp) 原題:Ivan's Childhood 監督:Andrei Tarkovsky アンドレイ・タルコフスキー製作年:1962 製作国:ソ連少年:Kolya Burlayev コーリヤ・ブルリヤーエフ 音と映像が素晴らしい。 ...
僕の村は…
レイトショーで観た「僕の村は戦場だった」。一晩たってなかなか眠れず、場面が断片的に現れるのでメモ。 何年かして観たときに、同じように記憶するかどうか。 井戸水の反射と感触 波打ち際に素晴らしくきれいにこぼれ落ちたリンゴ ...
立秋
小学生の私にとって漫画がドキドキするような魅力があったように、見知らぬ風景・見知らぬ生活スタイルを見ることそのものが好奇心をくすぐるかもしれないなあ。 僕の村は戦場だった ИВАНОВО ДЕТСТВО (1962年/ソ連/1h34). ●'62年 ベネチア国際映画祭 金 ...
詩人の息子
去年の白夜映画祭はレイトショーに車で来たので、映画館の場所がよくわからず、自転車に乗った学生っぽい人に聞いた。路面電車の脇を通り京王線沿い東に進んでちょっと歩くと見覚えのある建物があった。『僕の村は戦場だった』を見た。 ...