Life Is Water
その昔、友達のポータブルCDプレイヤーで#4「All is not lost」を聞いた。歌詞は全然わからなかったが、(オーガニックバンドに位置付けられているのに)うねるグルーヴに巻き込まれて、涙がぼろぼろこぼれたのを覚えている。
高音が抑えられてディレイのかかったギター音がいくつも交差して、身体が宙にもってかれる。で、こっちも音は控えめながら、とにかくノリに徹したドラムがタランタタカタン耳の奥の方で鳴っている。ベースは重くて太い。空間系のエフェクトをかけたカリンバを多用しているのも特徴だろう。
明るかったり悲しかったり、多種多様な名曲が入っているベスト版「Ten times around the sun」の方が、このバンドの懐のでかさは感じられると思う。しかし、シムバンドの根っこにある生々しい抒情性を感じるならこのアルバムだと思う。
一貫してアルバムの中に「悲しいけれど何か落ち着く感情」が流れている。次のアルバムからはその一貫性が失われている。なのでシムのオリジナルアルバムとしての至高はここに極まれり、だと思う。
中でも「All is not lost」がとにかくヤバいんだけれど、ベスト盤に入ってなかったのは、後期の落ち着きに比べるとあまりにも演奏が荒っぽいのと(グルーヴ感がほんとにやばい)、アクが強すぎたせいだろうか。この一曲でも買いだと思うんだけど。
ただ、声に好き嫌いがあると思うので、初聞の方はご注意を。
ニューエイジについてのキリスト教的考察
私はカトリック教徒ではないので、護教的関心から本書を手に取ったわけではないが、1970年代以降手を変え品を変えて流行し続けているニューエイジ思潮の危険な面がどこにあるのかを考える上では、かなり参考になった。
ニューエイジ思潮は、その派生現象として、あるときはオウム真理教事件を生み、あるときは「奇跡の詩人」というNHKの大失敗放送を生み(あれは、明らかに母親自身の潜在意識が子どもの手を借りて自作自演で言葉を紡ぎ出しているコックリさん現象だった)、あるときは「水からの伝言」などというお粗末な疑似科学を生み、何度も馬脚を現わしているのに、深く反省されることがないまま安易に受容され続けている。
その中に現代物質科学文明への批判と、ある種の安らぎが含まれていることを、私は必ずしも否定するものではないが、「罪悪深重の凡夫」としての人間を凝視しようとせず、「救い」に代えて「癒し」を、「悔い改め」に代えて「気づき」を売り込む一種の商法となって、既成宗教に取って替わる大それた野望をあらわにするに及んでは、私も警戒せずにはいられなくなる。
「宇宙と一体になれば自分自身が神であるから、一切の外的権威は必要でない」といった誇らかな「自覚」が、霊的エリート主義に結びつくとき、人は、己れの罪深さを凝視することを通じて地の塩として生き抜いた先人の道とは全く別のおかしな道に迷い込む危険性がある。このことに、警戒的でありたい。
ただ、本書はあくまで護教の書であるので、カトリック教徒でない私には理解しにくい点もある。訳文も生硬である。
生命(いのち)の水―奇跡の尿療法
私は尿療法を始めて2年になります。最初は尿を飲むことに抵抗がありました。「尿は老廃物であり、人体に不要な毒素を含んでいる」という誤った固定概念を持っていたからです。実際に飲んでみると尿はとてもおいしいので、いつのまにか習慣になっていました。尿療法のおかげでまったく病気とは無縁です。身体に良い物を食べた後は尿も美味しく、悪い物(砂糖・肉・油類など)を食べた後は尿もまずくなります。尿の美味しさは健康のバロメーターであると言えます。
チベットのヨガ行者は自らの尿を飲み続けることによって、150歳を超えても白髪一本無いそうなので、尿療法は絶大なアンチエイジング効果をもたらすようです。本書では尿断食で病気を克服し、外見が10歳以上若返った方の体験談が載っています。水だけ飲む断食は危険がともないますが、尿だけ飲む断食は比較的安全に実行できるみたいなので、今後は尿断食にもチャレンジしたいです。尿は肌に塗れば美肌効果も抜群ですし、お金もかからないので究極の健康法だと思います。