EPSON インクカートリッジ (黒) ICBK46
プリンターのインクは、つい買い忘れあと少ししかインクがなくなって心細い思いをしたことがありましたが、セットで値段が安く、色の買い忘れがなくて大変便利です。
プロ野球 ファミスタDS 2010
ファミスタはFC時代から毎年買っていたんだが、SFC版があわなかったので自然とパワプロに流れていっていました。 そんなパワプロも飽きが来ていてて、ここ何年かは野球ゲーム自体する事がなくなっていました。 そんな中、久しぶりに手にとったのがこのファミスタ2010です。 ちょこっと空いた時間にしょう、寝る前に少しだけしょう…と電源いれたら最後あっと言う間に一時間は過ぎてしまいます。 自分のチームを作っていけるんですが、初めのレベル低い二軍選手も愛着が湧いて、ついつい使ってしまいます。
唯一の難点は先発投手のスタミナの減りが、かなり早いって事ですね。 完投がスタミナAでも難しいです。まぁ投低打高は昔からですから、それもファミスタの味わいって事で。
昔ファミスタにはまっていた人なら間違いなく買う価値があると思います。
2011版が出るまでに全選手コンプリート&レベル9まで地道に頑張ります。
iPhone4専用★SGPケース ネオ・ハイブリッドEX (レベントン・イエロー)
これはいいね!
某外部保護材(ジェリー〇ィーン氏のデザインカバー)と
併用して使ってみたんだが、ジャストフィット!
いやー外回りがおしゃれになったよ。
俺的にかなりオススメだと思いますよ。
生まれ変わりの村1
P.120を読んだときどきっとしました。
タイムマシーンは
SFの世界の話だと感じていたからです。
生まれ変わりの村1の情報は、今までの生まれ変わる話の本とはまったく違いました。生前の自分を知っている人がそのまま人生を送っているところに、若くなって会いに行ったりしているところです。
情報が途切れていない感じがしました。
つながっているままに
新しく生まれてきて
自分で自分が前世をもっていたことを
この世で確認することができる。
その経験をできる方法があるということ、その情報が書かれている
とても貴重だと感じました。
運命のままに生きるしかないかもしれませんが
情報を知ること、情報を共有することが
全体に何かしらの変化を起こすことになるのではないか。と感じました。
私という情報は、単独では存在していないように感じてきました。
魔法少女おりこ☆マギカ (2) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
単体作品としての完成度は正直、大いに問題があります。
一つの漫画としてはあからさまに展開が急過ぎる。
登場人物の幾人か(杏子、ゆま、マミ、そしてまどか)は何が起きているのかおよそ分からないまま事態に巻き込まれ、その中である人物はどうにも悲惨な結末を迎えることになる。
もしこの作品を単独で読んだとしたら、そのことに納得することはおよそ不可能でしょう。
しかし。この作品自体を「『魔法少女まどか☆マギカ』の幾つかの核心的な要素に対する激しくも鋭い批評」として捉えた時、「『まどか☆マギカ』の激しい否定を更なる激しさを持って更に否定する」ものとしての姿が見えて来ると考えます。
あえて言い切るならば、ムラ黒江は「単体作品としての完成度を相当犠牲にしてでも、漫画の形をとった批評を二巻でやり切っている」。
ですので、以下は本編たるアニメ作品を既に観ていることを前提に話を進めます(それに一巻ならまだしも、この二巻をアニメ未視聴で読む方はまずいないでしょう)。
QBは「やがて魔女になる君達は魔法少女と呼ぶべきだよね」と語り、冷厳なる法則を突きつけられた暁美ほむら、美樹さやかはそれを避け得ぬ悲惨な運命として受け入れ「魔法少女としての生」はただ願いを叶えるための道具としてしか見ることはありませんでした。
強がりを続けた佐倉杏子も、さやかの破滅に自らや家族の過去を投影し、それでもなお生きていくことに耐え得なかった。
------新キャラクター、千歳ゆまはそれに対し、明確な「否」を語ります。
「いつかはいまじゃないよ」。
それは魔法少女となってもなお謳われる、挫けること無き生の賛歌。
美樹さやかは佐倉杏子の支えになれませんでした。しかし、この時間軸において、彼女には千歳ゆまが居た。
魔女となった者には、もはや絶望しか無い。
杏子とまどかがいかに思いを向けようとも、魔女オクタヴィアには「もう何も届かない。もう何も知ることなどない」(公式サイト魔女図鑑より)
------新キャラクター、呉キリカはそれに対し、明確な「否」を示します。
呉キリカは絶対の愛と献身を美国織莉子に誓う。
織莉子は愛と信頼を込め「例えどんな姿になっても私に尽くし護りなさい」「絶対に許さない」と告げる。
それはアニメにおいて遂に互いに手を取り合えなかった魔法少女たちと対照的な、互いに最も大切な心を通わせ合い、互いに互いを絶対のものとして支えあう二人の魔法少女たちによる"絶望に堕ちてもなお留め得る思いはある"という強烈な否定の否定。
暁美ほむらが時空を渡る時、残された世界はしばしば「救済の魔女」により破滅を迎える。
ほむらは「最後にのこった道しるべ」だけを頼みにそれを何度でも繰り返す。
しかし、それで良いのか?破滅させられる世界は暁美ほむらという一個人による鹿目まどかを救うという目的の前では無価値なのか?
-----新キャラクター、美国織莉子はそれに全身全霊を以て「否」を叫ぶ。
暁美ほむらに戦う意味を問われ、彼女は答える。
「私の世界を 守るためよ」
美国織莉子が全てを賭けた思いはもう一人の魂の欠片に支えられ、かつ託され、運命の魔弾となって飛ぶ。
『魔法少女おりこ☆マギカ』は単体作品として見ればはいろいろ拙いところ、急ぎ過ぎなところなどは見られます。それは明らかです。
しかし------美樹さやかに対する千歳ゆま。ほむらの献身に対する呉キリカの絶対の愛。まどかの救済に対する織莉子の守り。遂に互いに手を取り合えなかった魔法少女達に対する、固く絆で結ばれた二人の魔法少女。
その明らかな対比、「否定の否定」を思うとき、この作品は良き批評精神に満ちた、素晴らしいスピンオフ作品として捉えることが出来ると考えます。