越境者的ニッポン (講談社現代新書)
今回は雑誌「クーリエジャポン」の連載をまとめたものです。森巣さんが、素朴な疑問を基に時事問題を切ってくれます。その切り方は非常に鋭く、また面白おかしく、そして本当に怒っていますが、当然その切り口の鋭さは自身にも向くわけで、その辺をどう考えるか?でかなり評価が分かれそうです。いわゆる「大きなものへの一体感」を希求する方からはあまり支持されないかもしれませんが、なかなか面白いと私は思います、その問題提起については。少し違和感を覚えるのは解決策についてです。森巣さんはオーストラリアに在住していて、日本にはあまりいらっしゃらなかったからこその問題提起であると思いますが、その解決策も日本から離れてしまっていると思うのです。
森巣さんはいろいろな物事を比較的離れた視点から見極めようと、あるいは原理原則に立ち返って考えようとしていると思います。そしてそれはおおむね『正しい』ことだとも思います。しかし、正しければ全てが解決するわけではありませんし、正しさでけで人々が納得するわけでもありません。それに正しさは見方を変えたり、立場が変われば正しくさえなくなってしまうものであると思います。それでも規範というか何か『正しさの核(社会に暮らすほぼ全員が同意出来るもの)』のようなものを必要とし、それに伴って生活をすることが社会に生きる上で効率をよくすることだからこそ必要なのだと思います。それは「常識」だったり、「モラル」だったり、「法律」だったりしますけれど。そのぞれ拘束力や効果の範囲は異なりますが、そういうようなものがあったほうが多くの方にとってより良いと思えるのだと私は考えます。もちろん「常識」も「モラル」も「法律」もテクノロジーや考え方や効果によって変わっていくものですけれど、不変なものではないからこそ、重要な役割が果たせる半面、定義づけが必要なわけです。ところが、森巣さんの場合は問題提起そのものについては自身をチューサン階級者(中学3年程度の知識の持ち主という立場。このネーミングはちょっとどうかと思いますが)と考えていますが、その解決策まで中学3年程度の強引な乱暴さを感じます。原理原則に沿うのは気持ちのよいことですが、その原理原則が日本という社会からあまりにかけ離れたものであるからこそ過激で気持ち良い反面、現実性は低く感じるのです。
たしかにメディアのニュースの取捨選択、その切り口は非常に頭に来ますし、たいていがヒドイものです、ニュースではなく娯楽ですよね。しかし、それを求めているわけです、多くの人々が。だからこそ大手メディアが今も存続し、くだらない出来事を垂れ流しているわけで、退屈させなければ良い、奇跡でも火あぶりでも本当はどうでも良い、という(おそらく無意識の)方々を変えなければ難しいのではないか?と思います。森巣さんの問題提起についてはもちろんチューサン程度の知識ではないと思いますし、国外にいられたからこその部分も大きいでしょうけれど。
日本を滅ぼす〈世間の良識〉 (講談社現代新書)
著者の名はモリスさんというイギリス人かと思わせる名前だ。
本業は賭博師だそうで、外国在住。
外からの目で、日本社会の特殊性をみている。
特殊性とは何か。
新自由主義的思想による「利潤の私益化、損失の社会化」と指摘
する。これが民衆の「情動」に支えられている、と。
民主党元代表小沢氏に対する、2009年総選挙直前の強制捜査、
北方領土問題の基本前提、原発事故問題、そのほか、日ごろ感じて
いた疑問が、完璧なまでに、論理的に分析されている。
「世間」の常識がはびこり、社会を構成する論理が、ないがしろに
されているのだ、と。
ともあれ、日ごろの断片的な思いが、みごとに論理化されている。
必読の書である。