サマヨイザクラ裁判員制度の光と闇 下 (2) (アクションコミックス)
読んでいる人も自分自身の経験から感情移入してしまうのではないのでしょうか。
裁判員制度という括りだけでなく、今の時代の日本社会全体について考えられる
本だと思います。
モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (6) (ACTION COMICS)
平成16年5月21日「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が成立し、公布の日(平成16年5月28日)から5年以内に裁判員制度が実施される予定だそうで、実際に自分が人を裁く立場となる日が来るかもしれません。
裁判員制度の対象となる事件にはもちろん殺人事件も含まれます。
そういったことを踏まえてこの本を読むと、人を裁くことの意味を改めて考えてしまいます。
主人公の及川直樹が一巻で「たったひとり心を許せた友」と呼んだ死刑囚渡瀬満との関わりがようやく本格的になったようで次巻が待ち遠しいです。
それにしてもこの6巻の帯、素敵過ぎ(笑)。
モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (4) (ACTION COMICS)
本巻では被害者家族の問題にかなり大きな部分が割かれている。
死刑を継続していく理由として、「被害者遺族の気持ち」というのがある。しかし、本当の遺族感情とは、どういったものなのか、私を含め、被害者遺族でない人は、彼らの本当の気持ちを分かっているのだろうか?
まず、本巻で描かれる事実関係について簡単に触れておきたい。
一つめに、死刑囚と被害者遺族の面会は、現状においてほぼ行われていない。しかし、作中でも、主人公の刑務官・及川弘樹が言うように、決して法律上禁止されている行為ではない。主に拘置所所長の裁量で決められている(当然だが、上級組織などから一定の足枷が課せられている可能性はありえる)。
もう一つ、被害者遺族が死刑囚の助命を嘆願したケースも少ないながら実在する。決して、著者が自身の物語を面白くさせるためもしくはその主張のために作り上げた全くのフィクションではない。
おそらく、『弟を殺した彼と、僕。』を郷田マモラ氏も読んだのではないだろうか?
上記の2点については、同書の著者の行為と重なっている。
死刑の存廃を論議する前に、本当の遺族の気持ちの在り様こそを知ることが必要なのではないだろうか?
改めて、その思いを強くした。
モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (2) (ACTION COMICS)
刑務官の直樹が「人殺しなんて早く処刑されればいい」と思うと同時に、死刑囚の一人が孫に会えない寂しさから、枕を抱いて「かわいいな~。わしがじいじやで」と言っている姿を見て「なんで涙が出るんだろう」と泣いているシーン、わたしも涙が滲んできました。人の命奪ったんだもん、死んで償うべきだって思うけど、それは本当に正しいことなのかなって思うこともあります。殺人犯も人間で家族がいて…と思うと、考えてしまいます。私は大切な人を殺された経験がないから、そういう悲しみとか憎しみとかまだわからないけど、もし、そういうことになったら、自分はどう思うのかな?
絵で好き嫌いがかなり分かれると思う作品だけど、ストーリーは引き込まれます。マンガをあまり読まない人も読んで欲しいです。そして、死刑について考えてくれたら、と思います。
モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (1) (ACTION COMICS)
まず第一に、非常にストーリーがよく出来ています。
次々と新しい事実が分かってその都度、内容が深まっていきます。
推理系とはちょっと違いますが、人間の真実はなかなか外からは見えないものだと言うこと、そして見えない部分こそが大事なんだと言うことがよく語られています。
絵柄も見事です。
デザイン的な形で描かれていますが、主人公の及川が感情的でもろいので、ちょうどよいバランスに仕上がっています。
これがリアル系の絵柄ならばちょっと感情過多になってしまったでしょう。
しかし決して感情が表現できていないと言うことではなくて、デザイン的な中に、喜怒哀楽、特に怒の表情、人間の凶悪な本性が見事に表現されています。
題名のモリのアサガオとは死刑が午前中に執行されるところから来ていて、しばしば及川の葛藤の場面で現れますが、これがまた印象的です。
及川が暗い出口のない森の中に彷徨いこんでしまったという感じがよく出ています。
人間の尊厳を追究していますが、決してお説教ではなく、実感に即して表現されていて読むものの心に深く残ります。
漫画でなくては不可能な表現力です。
なお、2010年10月の時点で書店の店頭に平積みになっています。