今夜、すベてのバーで (講談社文庫)
恐らく、中島 らもさんの作品の中で人気が高いのは、「今夜、すべてのバーで」か「ガダラの豚」なのでしょうが(個人的には「西方冗土―カンサイ帝国の栄光と衰退」もかなりらも度が高いです)、私は「ガダラ〜」でなくこちらが好きです。
アルコール依存の話なのですが、それだけでない、生きていく上での何かを伝えようと感じました。ダメで、辛い、イイことなんか無いけれど、それでも、という何かを。
綺麗な話しだけじゃなく、知らない(アルコールの濃い霧の世界、あるいはその周辺の世界)世界を知るトリビア的楽しみもあるますが、それよりもらもさんの考えるもう既にいなくなってしまった自分の片割れのような存在を感じる話しなのではないかと。いなくなってしまった後も自分は生きていく事の覚悟みたいな何かを確認する話しなのでは、と。
三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)
黄河の悠久の流れをぼんやり眺めながら、母へ贈るための僅かの茶を買うため、商船の到着を待つ青年劉備。のどかで、暖かく、まるで水墨画のような情景から、この壮大な物語が始まります。
今日の朋友、高官、英雄だった者が、明日には宿敵、罪人、逆賊へ入れ替わる、乱世ならではのダイナミックな人間模様。数千年の時を経て語り継がれる、豪傑の武勇、知将の謀略。そうした多くの読者が期待する要素とともに、吉川三国志、とりわけこの第一巻を彩るのは、日本人の心の琴線に触れる美しい風景・人物の描写の数々でしょう。
冒頭の黄河や、劉備、関羽、張飛が桃園に誓う楼桑村の寂しげだが情緒豊かな佇まい。そこで浮世から隔離されたかの如くひっそりと暮らしながらも、息子の飛躍を心底で願う年老いた母親の姿。次元は違えど、故郷を離れて仕事や学業に就いている方なら、何がしか心のどこかに響く、そういった美がこの第一巻にはちりばめられています。
やがて英雄として名を轟かせる者たちもまだ若く、手痛い敗北を喫する者あれば、いよいよ頭角を現す者もいます。絶体絶命の危地に追い込まれた曹操が、「自害したい」とまで弱音を吐き、家臣に叱責、励まされる場面は特に印象的。後の彼からは想像もできない弱さだが、この乱世の奸雄もやはりまずは一個の人間であったことに気付かされます。
第八巻まで続く長い物語ですが、手に取れば、なぜこれほど長きに渡り、多くの日本人に愛される「三国志」であるのか、必ず感じ取れる作品です。
我が家の問題
私は、奥田英朗の新作、「無理」、「純平、考え直せ」を読んできて、「最近の奥田英朗は、一体、どうしちゃったんだろう?」、「作品が面白おかしさえすれば、それで良いのだろうか?」と思っていた。これらは、いずれも、格差社会の負け組を主人公にした後味の悪い作品となっており、私には、未来への希望が全く見えない格差社会の負け組の人生を書きっ放しにしているだけのようにしか見えなかったのだ。それと比べると、この「我が家の問題」は、久し振りに、暖かい眼差しで人を描いた奥田作品に出会ったという感じがする。
ここで描かれている6つの「我が家の問題」は、必ずしも、どこの家庭にもあるような「ささやかだけれども悩ましい」問題ばかりではなく、かなり深刻な問題も含まれている。しかし、どの主人公たちも、最後には、そうした問題を前向きな気持ちで乗り越えていこうとする善男善女ばかりであり、非常に読後感が良いのが特徴だ。ただ、その反面、「無理」、「純平、考え直せ」にあるような毒が全くないこうした奥田作品には、今一つ、インパクトに欠ける面があることも否めない。「あちら立てれば、こちらが立たず」で、作品作りとは、なかなか難しいものだと思う。
そんな中にあって、この短編集一番の傑作だと思ったのが、「夫とUFO」だった。「夫がUFOを見たと言い出した」、「エムエム星雲からやって来たコピー星人」などと書かれると、読んでいて、バカバカしく思えてくるのだが、これが実は、職場でこき使われるサラリーマンの悲哀を描いたなかなかの物語なのだ。そんな夫を救出しようと、多摩川の堤防で夫と対峙するラストは、滑稽ながらもハートウォーミングな絵になるシーンであり、笑えて、泣けるのだ。