何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)
語り手は拘置所に勤める刑務官。
彼は常に自身の存在価値が確信出来ずにいる。自分の本質から逃げ、本来の自分を偽って生きているのではないかと感じながら(本人が言うところの)「揺れながら」生きている。
現在の彼という人格を形成する周囲の人々の中には、自殺した友人、死刑制度を問い直す上司や、メンターとも言える人徳者たちもいた。
そんな彼が、虐待とそれに抗うことすら思い及ばない無力感の中で生きてきた20歳の殺人死刑囚と接することで、存在意義を過剰に追い求めるよりも、連綿と受け継がれる生命を連鎖を繋ぐ役割を自分も担っているのだという事実をこそ真摯に自負すべきだと気付いていく。
そして彼は、期限が迫っても控訴しようとしない死刑囚に、かつて自分を救ってくれた人の言葉を思い出し伝える。
「生体の発生から現在の自分に到るまでを繋ぐ長い線ともいえる生き物の連続は、途方も無い奇跡の連続でもある。全てが、今の自分を形成するためだけにあったと考えてもいい。」
だから
「重要なことは、お前は今、ここに確かに居るってことだよ。お前はもっと色んなことを知るべきだ。どれだけ素晴しいものがあるか、どれだけ綺麗なものがあるか、お前は知るべきだ。命は使うもんだ。」
それは、自身への確認でもあったのではないだろうか。
掏摸(スリ)
読み物としては楽しめたが、中村文則作品としては微妙な印象だ。
ここで描かれる悪人の像は定型的なものであり、そのことが影響して、物語全体の枠組みが、陳腐なものになってしまっているような印象を受けた。
銃 (河出文庫)
「暗い」とか「重い」とか語られがちな作家だが、ちょっと違うような気がする。この人の小説は最近読み始めて、すごく共感するところがあるので全部読み、最後にこの文庫化された『銃』を手にとった。やはり「暗い」とか「重い」とかではこの人の小説の魅力は語れないような気がする。
そのギャップをポーカーフェイスでたんたんと描いているように思える著者の姿勢に、つまりこの小説の「作風」に、そこはかとない明るさを読み取れるのだ。確かに表面的には「暗い」し「思い」。彼のカミュ風の古色蒼然とした文体もその理由の一つだろう。カビくさく感じることもある。けれど、その表面を書きながら、というより何かに書かされながら、その文章の展開に、にんまり、としていそうな小説の裏にある顔、その顔の存在に気づくと、この小説には他の誰も進まない方向に突き抜けたような明るさがあることを実感できるはずだ。