たまゆら 第一巻(初回限定生産)【Blu-ray】
東銀座の上映会にて1〜2話を視聴。
佐藤順一監督いわく、
「ARIAは社会人が未来の自分に想いを馳せるお話」
「たまゆらは学生達が未来の自分に想いを馳せるお話」
ARIAの音楽発注時のイメージは、
「泣きたくなるようなきれいな音楽を」
たまゆらの音楽発注時のイメージは、
「可愛らしく、なつかしい音楽を」
1話は佐藤順一監督脚本、2話は吉田玲子脚本であろう。(連名のため不正確)
2話目は1話目よりもキャラクターが動く印象。
かといって悲しい場面もあり、けいおん!の吉田さんらしい抑えるところは抑えるというような脚本。
東劇のスピーカーはやや高音がきつい印象だった。
自宅でゆっくり観たいと思う。
The MANZAI
前々から欲しい欲しいと思っていたのですが、こちらで見ている限り評価が低いように思われて、ためらっていました。
ですが、失敗でも良いや!と思い切り購入してみたらビックリ!
本当に原作どおりの面白さや優しさ、可愛さに溢れていて、大満足でしたヽ(*^^*)ノ
迷っている方、ぜひぜひ聞いてみてください。
私は、幸せな気分になりましたよ〜。
NO.6〔ナンバーシックス〕#9 (YA!ENTERTAINMENT)
8年近くも続いた物語がついにこの巻で終わります。 途中刊行されるペースが遅いと不満に思う事もありましたが、 最終巻が発売されるとなると もう少しゆっくりでも良かったと思うくらいとても寂しいです。 1巻からそうでしたが、この最終巻も文字を追うたびに続きが気になり、次のページへ次のページへと 一気に読んでしまうような面白さでした。 最終巻とは直接関係はありませんが No.6がコミック化アニメ化されているのを聞いてとても嬉しいです。 この素晴らしいお話が世間により広がっていくことを祈っています。 読書の純粋な楽しさと 真摯に生きる事について考える機会を与えてくれた ネズミや紫苑達、 そしてあさのあつこ先生に最大級の感謝と、惜しみない拍手を!
弥勒の月 (光文社時代小説文庫)
小間物を扱う「遠野屋」の若おかみ、おりんが川で溺死した。自殺か他殺か、はっきりしない。それが事件の発端である。
事件を追うのは、北常町廻り同心木暮信次郎と岡っ引き伊佐治。二人は、駆けつけた遠野屋清之介の様子に尋常ならざるものを感じとる。
信次郎は言う。
<「おれは退屈してたんだ」
(略)
「親父のように生きて、死んでいくのかと思うと退屈で堪らなかったんだよ」>
路傍での父の死にざまは、信次郎の心に深く刻まれ、信次郎は、蛇のようだと評される、有能だが酷薄苛烈な同心となった。その信次郎が、なりゆきもわからぬうちに、遠野屋を評し、<「あれは、おれの獲物だ。おもしれえ狩りができるかもしれねえ」>とつぶやく。伊佐治は、そのような信次郎に、深い危惧を覚えながらも目を離すことができず、行動をともにする。
遠野屋が並み以上に商人たらんとしていることは明らかだった。闇の出自を持った武士が、商人として、人として、生き直そうとしていたのだ。
遠野屋は、遠野屋の先代とおりんに恩があると告げながら、伊佐治に言う。
<「わたしにとって、おりんは、弥勒でございました」
「弥勒……」
「そういう女でございましたよ」>
伊佐治は思う。
<おれも救われたのだ。女に救われ何十年という年月をともに生きている。おれは共に生きている、しかし、遠野屋は失った。縋った指の間から、確かに掴んだものが消えていったのだ。その焦燥、その絶望、その地獄。>
信次郎も遠野屋も、心の中に余人に窺い知れないものを抱え込む。互いに共感と反感がないまぜになって交錯する。何気ない対面が、言葉と所作のぎりぎりの対峙へと変貌する。
おりんは何故死なねばならなかったのか? 挟箱の奥深く隠された朝顔の種にはどんな意味があったのか? 遠野屋の闇の出自とは? 様々な謎が徐々に明らかになっていくにつれ、茫漠とした問いが立ちあがってくる。人が人として生きるとはどのようなことか? 人は何によって、人としての矜持を保ちうるのか? と。
NO.6 VOL.6 【完全生産限定版】 [Blu-ray]
物語の要となる存在が、とても美しかった。
小説を読み、文字だけでははっきりと思い浮かばなかったその姿が、予想以上に美しく描写されていて感動しました。
ストーリーに関しては、仕方がない部分もあるでしょう。
このアニメの話が出た時、あさのあつこ先生はまだ最終話を書き上げていなかったのですから。
「大体こういう風に終わります」という概要しか知らされていなかったと、何かの出版物の記事に書かれていました。
アニメが放送されたのは最終巻が出た後ですから、違和感というか、改悪だと思ってしまうのも仕方がないとは思います。
しかし私は、小説では語られなかった「もう一つのエンディング」として見てもいいのではないかと思っています。
「まさかあそこで紫苑が」「まさかその後にネズミが」と、驚かされましたが、二人の絆の強さが描かれているように感じられました。
そして何より、アニメの最終話の方が、沙布に対するフォローが強かったと思います。
私は紫苑とネズミもですが、沙布がとても好きなので、あの展開にはつい泣いてしまいました。